無招のOSは、日本でインストールされた
無招を振り返る人の多くは、あの7.5万字の長文を、パートナーシップ委員会の異例の表明を、高圧的なマネジメントを語る。どれも正しいが、どれも結果にすぎない。本当の原因は、誰もが目を通しながら誰も細かく読まなかった一枚の履歴書のなかに隠れている。
読み飛ばされた履歴書
陳航は1999年、インターンとしてアリババに入った。最も初期のメンバーの一人だ。2年後、彼は当時はごく平凡に見えて、振り返れば決定的だった選択をする。日本で働くことだ。その代償として、アリババ上場の富のラウンドを逃した。あのとき残った同僚たちは、のちに皆が経済的自由を手にしている。
彼は日本に11年いた。最初は日本企業、次にアメリカ企業に入り、仕事のために日本語を身につけ、最後はHPの全英語環境で4年間働いた。家族を連れて帰国したのは2010年8月になってからだ。
帰国後は失敗の連続だった。一淘はものにならず、来往はジャック・マー(馬云)自らが現場に立って後ろ盾になったプロジェクトでありながら、これも敗れた。2014年、湖畔花園の民家で小さなチームを率いてDingTalkを作り上げ、ようやく息を吹き返す。その後アリババを離れて起業し、両氢一氧(HHO)を立ち上げ、スマート猫トイレを、デジタルイヤホンを作り、7sGoodという買い物プラットフォームを作った。向けた先は、やはり日本市場だった。彼が日本をやるのは、日本が彼にとって最も慣れた土地だからだ。
この線をまっすぐに引いてみると見えてくる。人のキャリアで最も人格が固まる十数年が、その後のあらゆる場面での本能的な反応を決める。そして無招のその十数年は、日本で過ごされた。
日本が彼に一つのOSを与えた
この11年は無駄ではなかった。それは無招に一つの完成されたOSをインストールした。精密さ、プロセス、規律、細部の極限までの磨き込み、約束の絶対的な履行、上から下への秩序感。
このOSは本当に優れている。まず公平に言っておく。彼がDingTalkに戻ってから「現場に下りる運動」を起こし、自ら顧客を回り、誰も報告する勇気のなかった「本当の満足度はわずか30%」という数字を掘り当て、それを無理やり80%まで引き上げ、コストを9割削った。その原動力こそ、このOSだ。起業してハードウェアを作ったとき、イヤホンも猫トイレも完成度は低くなかった。それもこのOSである。職人精神は貶し言葉ではない。製造業が立脚するための根本であり、ドイツやスイスの時計が、日本の精益生産(リーン生産)が手本となれた理由でもある。
だからここで言う「日本」とは、一つの経営哲学の略称であって、地図上のどこかの国ではない。その核心は確定性である。目標が明確で、基準がはっきりしていて、やるべきと分かっていることを極限まで磨き上げる。
問題は一つだけ。このOSは、AIに出会うと機能しなくなる。
AIは不確定性の商売である
製造業とハードウェアは確定性の領域だ。やるべきことははっきりしている。一台のトイレがどんな機能を備えるべきか、一組のイヤホンがどんな音質に達するべきか、業界には成熟した答えがある。こうした領域では、規律のリターンは線形だ。自律的であるほど、磨き込むほど、約束を果たすほど、プロダクトは良くなる。無招のOSはここでは最高級の構成である。
インターネット、とりわけAIは別の商売だ。そのボトルネックは実行の精度には一度もなく、つねに方向そのものにある。何を作るべきか、誰のために作るのか、何をもって良しとするのか、この方向は本当に正しいのか。これらの問いに既製の答えはなく、探索と検証で少しずつ追い詰めていくしかない。
製造業では、規律が答えだ。探索のなかでは、規律はただ、まだ検証されていない方向へあなたをより速く押し出すだけである。
DingTalk ONEは4か月でリリースされ、DAUは300万まで駆け上がり、10か月で解体された。「毎日一本リリース」の高圧イテレーション、深夜の見回り、向かいの飛書(Feishu)が何時に消灯するかを見張る日々。この一式は、ハードウェアを磨くためのOSを、本質が探索であるものへそっくりそのまま持ち込んだものだ。極限まで規律正しく、深夜まで勤勉でいながら、整然と、間違った方向へ全速力で進むことはできる。基盤インフラが長く欠け、戦略の方向が頻繁に揺れ、社員は目に見える表面的な機能の実装に必死になる。これらはまさに、「確定性のOSを不確定性の問題の上で走らせる」と現れる典型的な故障である。
もし彼がアメリカから帰ってきていたら
これはアメリカの月のほうが丸い、という話ではない。同じく聡明で、同じく勤勉で、同じく結果に飢えた一人の人間が、人格の固まる十数年を東京ではなくシリコンバレーに浸して過ごしていたら、彼がインストールするのは別の初期設定だっただろう。
その設定のなかでは、創業者は監督役ではなく探索者である。曖昧さと試行錯誤は恥ではなく常態だ。まず最小の代償で方向を検証し、それから本腰を入れるかを決める。判断は実行より高価だ。実行は買えるが、方向は買えないからである。このOSを携えた人間は、まだ誰も通り抜けていないAIオフィスという領域を前にして、第一の反応として残業を増やしたり、より厳しい軍規を立てたりはしない。まず、あの居心地の悪い問いを問う。この新しい入口を、本当に待っている消費シーンがあるのか、と。
人の成否を決めるのは、多くの場合、能力の高低ではない。キャリアで最も深かったあの一段が、不確定性に向き合うときの本能として、その人にインストールしたものだ。無招の本能は、日本で鍛えられた。
判断
無招の悲劇は、成功した道筋の呪いである。DingTalk 1.0で彼を神にした磨き込みと規律こそが、DingTalk 2.0を失速させたものだ。同じ一つのOSが、確定性の世界では神であり、不確定性の世界では檻のなかの獣になる。
このことは、AI時代のすべてのプロダクト人への戒めだ。あなたの履歴書こそがあなたのOSであり、それが不確定性に出会ったときの第一の反応を決める。AIは実行のコストを床まで叩き落とした。だからこの時代に最も高価な能力は、不確かさを前にして慌てないこと、規律と労働時間で無理やり埋めるのではなく、判断と高速な検証で置き換える勇気になった。
陳宇森が引き継いだ本当の試験問題は、士気の修復にはない。彼自身がインストールしているのがどのOSなのか、にある。92年生まれで、AIネイティブの環境のなかで育った人間なら、少なくとも初期設定は正しい。残るは、彼がそれを背負いきれるかどうかだ。
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