2026-06-05

vibe codingは死んだ、仕様書を書けばいい?プロダクトマネージャーの第三の道は言出法随

最近、方法論界隈で論争が起きている。タイトルはどれも刺激的だ:「vibe codingは死んだ、今すぐspec-driven development(仕様駆動開発)へ転換せよ。」

風向きは確かに変わっている。GitHubのSpec Kitはすでに九万スター超、AWSは「先に仕様、後にコード」を中心に据えたKiroをリリースし、Thoughtworksは仕様駆動をテクノロジーレーダーに掲載した。主流の主張はこうだ:仕様こそが唯一の真実の源泉であり、コードはその産物に過ぎない。両者が食い違えば、コードを直せ、仕様は変えるな。

もっともらしく聞こえる。だがPMなら、慌てて「仕様書の書き方」を学び直す前に、少し立ち止まってほしい。

振り子が振れすぎた

物語の筋書きはこうだ:

まずvibe codingが流行った——一言AIに投げれば、ざっと大量のコードを吐き出してくれる。爽快だが、すぐに破綻した。構造がなく、直せず、自分でも何を作ったか説明できない。そこで反動が起き、反対の極端へと振れた:ならば全部を事前に仕様書に書き起こして、できるだけ細かく書いて、AIにその通りやらせればいい。

問題は、PMにとって「詳細な前置き仕様書を書く」という行為は見慣れたものだということだ——それはPRDそのものだ。 数十ページに及び、書き終わった瞬間に陳腐化し、誰も最後まで読まないあのPRD。AI時代の最大の解放のひとつは、こうした文書苦役からあなたを救い出すことだったはずだ。それなのにspec-drivenはそれをそっくり呼び戻し、今風の新しい名前をつけただけだ。

「なんとなく書く」から「仕様書を書く」への揺り戻しは、一つの極端からもう一つの極端への移動に過ぎない。どちらもPMが立つべき場所ではない。

第三の道:仕様書は書くものではなく、言葉にして走らせるものだ

vibe codingは脆すぎ、仕様書は重すぎる。その間にもう一つの道がある——doaimpmがずっと歩んできた道だ——言出法随。

その核心はこうだ:文書に書かれた仕様書は必要ない。必要なのは、作りたいものを言葉にすることだ。 そして「言葉にすること」は、PMが本来持っている最も基本的なスキルであり、新しい技術ではない。

具体的には二つのことに分解できる:

第一に、仕様は対話の中に生きる——文書の中ではなく。 完全なspecを書き上げてから着手する必要はない。意図を言葉にすればいい——誰のどんな問題を解くのか、主要な制約は何か、何ができれば正解か——そしてAIにその場で動くものを作らせる。言葉にしきれない部分は、AIが聞き返してくれる(優れたagentなら動き出す前に3〜5つの鋭い質問をするはずだ)。対話の中で明確にしていく。明確化は会話の中で起き、誰も読まない文書の中では起きない。

第二に、動くハイフィデリティプロトタイプは、それ自体が最良の仕様書だ。 文字で書かれた仕様書は、十人が読めば十通りに解釈される。クリックでき、動き、本物の状態(ローディング/空/エラー/成功)を持つプロトタイプは、誰が見ても一目で正しいかどうかわかる。ハイフィデリティプロトタイプは自分で語る仕様書だ——解釈される必要はなく、直接体験される。 これがdoaimpmが低保真ワイヤーフレームに反対する理由でもある。AI時代においては、本物を直接作る方が、偽物を描くより速く、誤解も少ない。

では「構造」はどこから来るのか——小さく、安全網を張って

仕様書を書かなければ、vibe codingの轍を踏まないか、制御を失わないか、と問う人がいるだろう。

厚い文書ではなく、二つのものに頼る:

仕様書が唯一の真実の源泉だというなら、実は一言抜けている:AI時代において、最もハイフィデリティな「真実の源泉」は文書ではなく、今まさに目の前で動いているプロダクトだ。

では、今日は何を信じるべきか

「vibe coding」と「spec-driven」のどちらかを選ぶ必要はない。それは偽の二択だ。

これはまた新しく学ぶべきフレームワークではない——フレームワークはもう十分だ。これはPMの最も素朴な動作に立ち返ることだ:何が欲しいかを考え、言葉にし、走らせる。

言出,法随。

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